もうだめかもしれない

Fラン卒、職歴4カ月の無職が思考を垂れ流します

銭湯に行く

今日は、銭湯へ行くことを思い立った。

なぜ、銭湯に行こうという気になったのかというと、ここ最近肩の調子が悪く、

その治療の一環として、銭湯に行くことに決めたのである。

私の住んでいるアパートから、銭湯までは少し距離がある。

しかし、かといって自転車を使うほど遠くはない。

私は10分ほど考えた挙句、自転車で行くことにした。

午後6時。私は着替えを詰めた鞄を持ち、アパートを出た。

自転車に乗り、近くの銭湯を目指す。小さな路地を抜け、幹線道路に出た。

銭湯に行くためには、幹線道路を横切らねばならない。私は横断歩道を渡ろうとしたが、青信号が点滅し始めたので、次の青信号を待つことにした。

横断歩道の向こう側には、帰宅途中と思われる高校生の集団が雑談をしていた。

何を話しているのだろう。私も高校生だったころがあった。

あの頃は、怠惰な自分を変えるために、激しい部活動に汗を流し、柄にもなく夢や希望を掲げて、日々邁進していた。しかし、変わらなかった。次第に、すべてが苦しくなり、すべてを投げ出した。

あの時否定した自分は、まだこの横断歩道で信号を待ち続けている。

別に、悲しくはない。それが私自身であるということだからだ。それは、例えば猫が猫であり、人ではないのと同じように、私は私なのである。変えようがない。

そんなことを思いながら、横断歩道が青であることを確認して、再び自転車をこぎたした。

数分後、目的の銭湯へ到着した。

路肩に自転車を止めて、銭湯へ入る。木製の古びた靴箱に自身の靴を入れて、鍵の札を引き抜く。35番の札であった。入り口付近の店番のおかみさんに入浴料を支払い、

脱衣室へ向かった。

平日の午後6時台というのもあり、脱衣所には誰もいなかった。準備を済ませ、浴場へ行く。浴場にはすでに3人ほどおり、いずれも顔なじみのようだった。

私は浴場の隅にある洗面器等を取り、シャワーを使って体を洗った。

その後、浴槽へ行く。湯船につかり、肩こりを和らげるために肩を揉んだ。

10分もしないうちに、体がのぼせてきたので、体を洗い、浴場を出た。

脱衣所で一連の支度を済ませる。最後に自動販売機で飲み物を買おうか悩んだが、

お金がもったいないので、買うのを辞めた。脱衣所を出て、おかみさんに会釈をしつつ、銭湯を後にした。

肩こりの調子は割とよくなったように感じる。

帰る途中にやはり物足りなさを感じ、コンビニに寄り、アイスを購入した。

無事帰宅し、アイスを食す。銭湯帰りのアイスは格別にうまかった。

私は銭湯とアイスさえあれば、それでいいと思う。それは大げさであろうか。

いや、この程度の幸せが、細く長く続けばそれでいいのである。

しかし、それを手に入れるのも難しいのが現状である。

私はこの小さな幸せを手に入れるのも難しいほど非力だ。

私はどうすべきなのか。そんなことを思う日々である。

 

 

 

 

 

 

 

何日目だろう

今日は朝4時に目が覚めた。薄暗い部屋の壁には、アパートの脇にある幹線道路からの光がゆらゆらと写し出されていた。

「もう、朝か」そう誰に向けるでもない独り言をつぶやいた。私はなんと思うでもなく、ただ天井を見つめた。何かを考えようとしたが、そうすればまた不安が顔を出すので、何も考えなかった。数分後、特に何もすることがないし、朝食も買いに行く気力がなかったので、また眠ることにした。

次に目が覚めたのは、午前11時ごろだった。窓から差し込む日の光から逃げるように布団から出た。「今日は何日だろう」そう呟いてカレンダーに目を向けた。毎日行うこの所作にあまり意味はない。なぜなら、今日は昨日と同じだし、明日も今日と同じだからである。

朝食を食べて、その後はネットを徘徊していた。

それも次第に飽きてきて、横になる。次第にあれこれとまた考え出してしまう。

どうにも耐えられそうにないので、少し外を歩くことにした。

都会の町は、田舎と違って、昼間に外を歩く者がいても怪訝な顔をされない。

なぜなら人が多すぎるからだ。皆、それぞれの日常を生きている。

空はぼんやり靄がかった青空で、金木犀の香りが漂っていた。

いつか来たような気がする道をとぼとぼと歩きながら、昔のことを

思い出したりする。昔は幸せだったかもしれないし、不幸せだったかもしれない。

そんなことは、もう覚えていない。

ただ、あの日も今日と同じ金木犀の香りがしていたことは覚えている。

特になんというわけでもない記憶である。

今日と同じように金木犀の香りが、冬の暗く寒い様を彷彿とさせていた。私はそのころ

それをどうすればよいか分からずにいた。あの日から何日たったのだろう。

ふとそんなことを思いつつ、来た道を折り返した。

 

 

 

 

特に何もない

今日は特に何もなかった。

いつものように起きて、ネットをただぼーっと眺めていた。

なんかやりたいなと思いつつ、肩こりの調子が良くないので、なにもする気が起きない。

そもそも、最近、日常に変化がなさ過ぎて、時間が過ぎるのを早く感じる。

まだ私が一端の社会人だったころは、22時から24時までの時間を休息時間として

大事に過ごしていた。

しかし、最近は2時間なんてあっという間で、気が付いたらその日が終わっていることなんかがざらにある。

全く、人生の無駄な消費である。

そうわかっているが、何かをする気力は沸いてこない。

ただただ、人生を無駄に垂れ流していく。

自分の人生が虚しく流れ出ていく様を、ただただ横目で見るような感覚。

そんな日々である。

なんか生きにくい

今日は朝早くに起き、近くのコンビニにパンを買いに行った。空はどんよりとした曇り空。何事もなくパンを買って家路につく。

さあ、今日は何をしようか、そう考えながらPCを開く。そのままネットサーフィンを3時間ほど続けて、眠くなったので横になった。

そんなときは決まって、不安が押し寄せる。その不安を拭おうとスマホを片手に2chまとめサイトを閲覧する。特に興味のない話題を、なんと思うわけでもなくただ眺める。

少し気持ちが落ち着いてきたので、ようやくうたた寝を始める。

そんなことをしているうちに、昼下がりとなった。重い体をなんとか立たせ、湿り気の残るベランダから空を眺める。

曇り空である。このところ天気が悪い。だからだろうか、この何とも言えない閉塞感が身を包むのは。一つ先の繁華街の路地には、傘を持った人々が行き交っている。

皆、同じ時間に同じ格好をして、同じようにうな垂れながら、同じように今日を消費する。それが正しいから、彼らはそれをするのである。そうすれば、私のように閉塞感を感じることはないのだろうか?。いやそうではないだろう。私はそんなことを考えながら、アパートの近くをせわしく通り過ぎる列車の音を聞いた。